とりあえず、いろいろと感じる「非営利」とか「ボランタリー」とか「善意」とかの行為は
その全てとは言わないまでも、大部分が 長い目・広い目で見たときに
市場・資本主義という社会に 悪影響を与えている とここ数年思い続けている.
感じていたことを少しずつまとめていこうかな.と.
そもそも、私が認識している 最高で完璧な非営利行動というのは
「病院」だと捉えている.
病院は、金儲けに走れない.
なぜなら 金儲けしたいのならば、患者に死なない程度の毒を飲ませ続けることが
一番の金儲けに繋がるはずだからだ.
病院にとっての顧客である患者が増えれば、収入は増える.
(保険料云々で ランニングコストのほうが損をする診療報酬とかの問題を除いて、単純に)
だけど、病院は患者を治し続けるのだ.
治し続けなければいけないのだ.
しかしながら、病院が無くなることが「いい状態」とも言えない、
それが完璧なモデルの非営利行動だと 感じている.
だがしかし、折に触れて話すのだが
現状のNPOというのは このモデルが完全に当てはまるものはほとんど無く、
最終的には 市場の手か、政府の手に委ねるべきものであることが大部分である.
そういう意味では
・完璧(に近い)非営利モデル=営利追求したときと逆の効果を求められるもの
・多くの非営利モデル=将来的に市場か政府に成されるべきことへのオピニオンリーダー的役割
だろうな、と思う.
で、ここで オピニオンリーダーであるからには
その役割を終えるべき時が必ずあるはずだ、と考えるのだが、
ここら辺の話は次回に持ち越すとして...
つい最近この手の話をしていた時に
「NPO(特に法人)は、市場と政府の双方から認められて 法人格を付与されているとしたら
政府からも市場からも認められるような活動をしなければ・・・」
てなことを Iくんが言っていた.
まさに.
政府から資金を貰ってるだけではダメだし
(まぁ実際日本のNPOって政府から出てるお金貰って動いてるところほとんど無いけど)、
ましてや、市民から「寄付」で成り立っているのが 市場に認められてるとは一概に言えないだろう.
市場の原理はやはり売買行為に基づいているはずで、認められるべきアウトプットに対して
対価(もしくはそれに換わるもの)を得て回す部分も必要だろう、と.
それにしても「市民からの寄付」が 市場の原理で成り立ってない ってことを
もうちょっと明確に言いたいなぁ.
市民の収入の余剰が、そこに回ってるとしたら、
ある意味アウトプット(もしくは期待)に対して 対価を支払ってる とも言えなくないからなぁ.
でも、そうではないと言い切りたい.
次回に続く.
投稿者 Rie KAWANO : 05:22 AM
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