付加価値の源泉 ―限りなく原価の知られやすい情報社会
ご無沙汰な投稿になりました.
夜も更けているので、あまり長いエントリーになりませんが一筆.
夜のWBSで プリンターインク再生のネタが出ていて、
そのネタでトラックバック先でも書かれていたので、勢いで書く.
情報が行き届き、情報の非対称性が解決するということは、
限りなく そのサービスの製品の原価を知られやすい
と言うことだろう.
それを顕著に表す事例としても、
ネット上の「kakaku.com」、製造業界の「水平分業化」も
プライスの面での透明性を高める 情報源の一つになっている.
(後者のプライスの透明性の関係はめんどくさいから説明しないよ・・・眠いだけだけど)
ここから私が考えることは2つ.
一つは 「では、そもそも付加価値とは何なのか?」、
もう一つは 「情報自体(音楽などソフト)のコピーはどういう位置付けになるか?」.
(二つ目は 長い話題なので別に設けます・・・今ただ眠いだけかも)
最初の話に戻すと、
結局のところ情報に透明性が増せば、歪んだプライシングは不可能になる.
正直、携帯電話やプリンタービジネスのインクと紙は 歪んでいる と思う.
サードパーティが参入可能なだけ紙ビジネスは随分と適正になりつつあるんだろうが.
それも、歪んだ力が維持されない限り、いつかは解ける魔法だと捉えた方がいいように思う.
#歪んだお陰で、得している複写機企業と 損を被って火の車だった家電メーカーは
#そのパワーバランスの偏りが何で起きているかを考えた方がいいのでは
では限りなく 不正なプライシングが付けにくくなるとする.
原価+その企業が運営できるだけの最低限マージンが付くとする.
それではそれ以上のマージン、「付加価値とは何なのか」を考えるとしよう.
そもそも付加価値が増大するとは何なんだろうか.
情報がオープンであっても、原価以上の対価・支払い意欲を感じるのはどんな時だろうか.
パッケージング・コンシェルジェ は、一つのいい具体例だと思っている.
意味が被っている領域も有りそうだが、パーソナライズ化・パーソナルファブリケーションなども
今後の動きの一つだろう.
人間の認知限界に対する価値観の提供.
あー、眠い.
後日リバイスかけます.また 後で読むと意味不明な文章になっているんだろうなぁ.